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東京高等裁判所 昭和54年(う)1294号 判決

判決

(東京高裁昭五四(う)第一二九四号、業務上過失致死等被告事件、昭54.11.28第九刑事部判決、破棄自判、原審東京地裁八王子支部昭54.5.10判決)

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年二月に処する。

原審における未決勾留日数のうち二〇日を右の刑に算入する。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一は、原判示第一事実(業務上過失致死)につき、原判決は、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があり、あるいは、検察官主張の訴因について訴因変更手続を経ることなく、これと態様を異にする事実を認定した訴訟手続の法令違反があるというのである。

よつて、検討すると、原審において検察官の主張した訴因(ただし、原審第五回公判廷において変更された後のもの)は、

被告人が、原判示日時に、原判示道路において、普通乗用自動車を運転して、原判示方向に「時速約四〇キロメートルで進行中、前方を注視して進路の安全を確認して進行する業務上の注意義務があるのに、これを怠り、運転開始前に飲んだ酒の酔もあつて、前方注視を怠つたまま前記速度で進行した過失により、道路右側に駐車中の普通貨物自動車の前照燈に自車の前照燈の光が反射したのを見て、対向車が直前に迫つているものと誤認し、狼狽して右に転把したため自車を同車に衝突させて、同車を後退させ、折から同車の後方を歩行中の○○○○を同車とその後方の電柱で狭圧し、よつて同人に頭蓋骨骨折の傷害を負わせ(以下略)」た

というものであつたが、これに対し、原判決は、訴因変更の手続を経ることなく、

被告人が普通乗用自動車を運転して、原判示方向に「時速約四〇キロメートルで進行中、幅員約5.93メートルの道路の中央寄りを走行していたところ、対向して来る車両のあることなどが予想されたから、このような場合自動車運転の業務に従事する者としては、進路前方の交通状況に直ちに対処し得るように前方を注視し安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、運転開始前に飲んだ酒類による酔いも手伝つて寸時の間前方を注視しない状態のまま進行した過失により、対向して来る車両にあらかじめ気付かず、間近に迫つた照射光によつて始めて気付き、これを避けようとして右にハンドルをきつた際に、自車を進路前方の右側にとまつていた普通貨物自動車に衝突させて、同車を後退させ、折柄同車の後方を同車の方向に歩行していた○○○○を同車とその先の電柱との間に挾み込んで押し倒し、よつて同人に頭蓋骨骨折の傷害を負わせ(以下略)」

たとの事実を認定したことが認められ、この点は所論のとおりである。

そこで、右罪となるべき事実を認定するには、訴因変更の手続を必要とするか否かについて考察するに、訴因も罪となるべき事実も、いずれも注意義務として、前方注視義務を掲げ、被告人が右義務に違反したことを認定している点は、両者共通である。しかしながら、右注意義務違反の具体的態様を比較してみると、訴因においては、道路右側に駐車中の普通貨物自動車の財照燈(の照明部の前面ガラス)に被告人車の前照燈の照射光線が反射したのを見て、対向車が直前に迫つているものと錯覚し、狼狽してハンドルを右に切つたというものであり、これに対し、認定事実においては、対向車にあらかじめ気付かず、間近に迫つた対向車の前照燈の照射光線によつて始めてその存在に気付き、これを避けようとして、右にハンドルを切つたというものである。両者の間には、対向車が実在したか否かにつき大きい差異があるほか、認定事実においては、対向車をもつと早く発見できるはずであるのに、これを発見しなかつたという点で、注意義務違反の時期が、訴因におけるよりも早い時期となる。そうだとすれば、注意義務を発生させる具体的状況および注意義務違反の具体的態様に関して、訴因と認定事実との間には、重要な相違があるものといわざるをえない。なお、記録によると、原審第四回公判期日において、検察官は、公訴事実中「道路右側に駐車中の普通貨物自動車の前照燈に自車の前照燈の光が反射したのを見て、対向車が直前に迫つているものと誤認し、狼狽して右に転把したため」という部分は、過失ではなく、結果発生に至る事情であると釈明していることが認められるけれども、右釈明は、検察官が、当初の訴因、すなわち飲酒銘酊による運転中止義務の違反を主張していた時期のものであつて、原審第五回公判期日において、訴因を前方注視義務違反に変更した後においては、右括孤書き部分は、単に結果発生に至る事情に過ぎないものと考えることはできない。

そして、原審において、弁護人は、専ら対向車の存否に関し、対向車が実在したことを強調し、被告人が、前方注視義務を尽くしていなかつたことを否定はしないが、被告人は、対向車の前照燈に眩惑され、対向車が被告人よりみて右方へ避けようとしないので、被告人の方でハンドルを右に切り、これを避けたが、その際右前方に駐車車両を発見したものの、これが無人車であろうと考えつつ衝突したと主張していたのであつて、右訴因と認定事実の相違点は、特に被告人の前方注視義務違反の時期、過失の程度等に関し、被告人の防禦に大きい関連をもつていたものということができる。

してみれば、右のとおり訴因と異る事実を罪となるべき事実として認定した原審の訴訟手続は法令に違反したものであつて、かつ、その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、論旨は理由がある。そして、原判決は、右事実と原判示第二事実(酒酔い運転)とを刑法四五条前段の併合罪として一個の刑を言い渡しているから、原判決は全部破棄を免れない。

よつて、その余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄したうえ、検察官は、当審において、公訴事実第一につき予備的に訴因を変更し、当裁判所は右変更を許可したから、これを前提として、同法四〇〇条但書にのつとり、当裁判所において、さらに自ら次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和五三年一一月五日午後六時ころ、東京都調布市西つつじケ丘四丁目五二番地付近道路において、普通乗用自動車を運転し、神代団地方向から仙松通り方向に向け時速約四〇キロメートルで進行中、前方を注視しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前方を十分に注視しないで進行した過失により、対向して来る車両に気付くのが遅れ、間近に迫つたその前照燈によつて始めて気付き、これを避けようとして右にハンドルを切つた際に、自車を進路右側前方に駐車していた普通貨物自動車に衝突させて、同車を後退させ、おりから同車の後方を歩行していた○○○○を、同車とその先方の電柱との間に挾んで押し倒し、同人に頭蓋骨骨折の傷害を負わせ、同月七日午後一時五五分ころ、武蔵野市境南町一丁目二六番一号所在武蔵野赤十字病院において、同人を右傷害に基く硬膜外血腫および脳幹部出血により死亡するに至らせ、

第二、同月五日午後六時ころ、調布市西つつじケ丘四丁目五二番地付近道路において、酒気を帯びて普通乗用自動車を運転したが、その際アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にあつた

ものである。

〈以下、省略〉

(綿引紳郎 藤野豊 三好清一)

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